娘とママの東京生活

娘が1歳の時に日本へ帰国。

誕生まで

7月10日 夜 前駆陣痛が始まる

7月11日 朝 おしるしが来て、その日の夕方からまた前駆陣痛が始まる。

7月12日 午前4:30頃、10分間隔で陣痛が来るようになり、病院に電話すると、ナースより、「初産なら、間隔が5分になったら病院に来てください。または我慢できなければ来ていいですよ」と言われる。が、その後陣痛が遠のいて朝を迎える。その日の夕方から夜にかけて再び前駆陣痛、陣痛が始まる。今度のは昨日の陣痛よりも痛みが増す。

7月13日 午前6時すぎ 8分間隔の痛みになったときに、主人を起こし、病院へ向う

7月13日 午前7時4分 入院。Delivery Suiteへ入った途端、ナース達から「○○だよね?」と待っていましたとばかりに私の名前を呼んでくれ、すぐに分娩室へ向う。この時点で子宮口の開き 1-2センチ

7月13日 午前8時30分すぎ 助産婦より、痛み止めをどうするか聞かれたので、迷わずに「無痛分娩」をお願いした。その後すぐに麻酔科医が来てくれて、背中に麻酔を打ってもらい、その後すぐに痛みが消える。

7月13日 午前9時30分 担当医が来てくれ、再度子宮口の開きをチェックしてもらうと4センチになっていた。

7月13日 15時30分 子宮口の開き 5センチ 再び担当医が来てくれ、子宮口をチェックしてもらうが相変わらず5センチのままなので、陣痛促進剤を投与してもらう。この前後かで、朝から何も食べていなかったので、主人が買って来てくれたアンパン3分の2あたりを口にしていると、助産婦より、「無痛分娩だから途中で気持ち悪くなったり、吐いたりすることがあるから食べないで下さい。」と言われ食べるのを止める。本番のときに体力がもつか心配だったけれど仕方ない。

7月13日 19時20分 子宮口の開き 6-7センチ、このあたりで助産婦より、麻酔を少し増やすかどうか聞かれたので、右の太ももから骨盤にかけて少し痛みがあったのでお願いした。

7月13日 20時ごろ 義理の母と叔母さんが来てくれる。この時点でお産の時間がまだ定かではなかったのですぐに帰ってもらった。

7月13日 21時前 腹圧といきみ感がどんどん増して来ていることを助産婦に伝えると、その後すぐに担当医が来てくれ、お産の準備が始まる。

7月13日 21時30分ごろからいきむ練習をはじめる。お腹にプレッシャーがかかり、Pass motion(便意)を感じるので、主人に思わず「今うんち出ちゃった?」と聞いてしまったほど。出てなかったとのこと。助産婦が主人に「赤ちゃんの髪の毛見えますよ」と言われ、主人からも「赤ちゃんの髪がすごい生えてるよ」と報告される。無痛分娩とは言うものの、腹圧がかかりいきみ感が出るところがわかるので、担当医と助産婦の指示がなくても自分からいきめるほどだった。担当医、助産婦の掛け声に合わせて数回いきみ、21時42分に娘が誕生する。

もし、無痛分娩を選んでいなかったら、大声でわめいたり、体力がなくなって、いきむ力もなくなっていたと思う。娘が出てきた後、すぐに担当医が主人に「今から写真撮っていいですよ」と言っていたので、主人にビデオ撮影するようにお願いし、娘のへその緒を切るところからビデオ撮影してもらう。助産婦がへその緒を切った娘を私の側で見せてくれた。黒くてストレートでざくざくした前髪になぜかもみあげまである、男の子のようなボーイッシュなヘアスタイルに、切れ長で黒目がとっても大きく、鼻も高く、顎はシャープだけどほっぺぽっちゃり、福耳のかわいい子が産まれてきました。75%日本人、25%中国人の血の混ざった娘、私達2人を上手く混ぜ合わせた顔になりそうです。娘が体重測定やら身体を綺麗にしてもらっている間、私は担当医から会陰切開の傷跡を縫ってもらう。娘誕生後、感動からなのか全身が振るえていた。その後私の身体を看護婦に拭いてもらい、ストレッチャーで個室へ移動。予定日より4日早い出産だったが、何事もなく、母子共に健康でいられ、感謝です。

出産費用 総額 5236.75リンギ (3000リンギの前金含む)